東海学シンポジウムとは
1993年、春日井市は地域からの「歴史・文化」の発信をめざし、森浩一氏を中心に「春日井シンポジウム」を立ち上げました。以後、2012 年まで 20 回にわたって開催し、確かな実績を残しました。春日井シンポジウムが 20 年の歴史を閉じたのち、NPO東海学センターが立ち上げられ2013 年秋「東海学シンポジウム」が開催されます。森浩一氏提唱の「東海学」の名を背負い、東海の特性を明らかにする試みがここに始まります。「地域学」は「郷土史」に止まることなく、全国的視野に立ち 常に新しいテーマを取り上げます。「春日井シンポ」の成果を引き継ぎ「真の地域学」を育むこの試みに全国の歴史ファンの皆様のご支援を期待します。
「東海学」とは
東海学は「地域学」の一つとして、第8回春日井シンポジウム(『東海学』の創造をめざして)でその第一 歩を踏み出した。西暦 2000 年(平成 12)という節目の年に、東海地域では「東海学」が、関東地域では「関東学」が産声をあげたことになる。提唱者はいずれも森浩一氏で、歴史を中央中心史観ではなく、各地域に根ざしてその特質を汲み上げ、「地域の総体として、日本全体の歴史を考えよう」というのである。ひと言でいうなら、これまでの歴史の組み立てを「逆転」することである。
シンポジウムの翌年に収録本が刊行されるが、森浩一氏はその冒頭で「唐津市のシンポジウムが中断してからは、連続的なシンポジウムとしては僕の知るかぎり、春日井のシンポジウムだけになった。余談になるが、《なぜそれが東海の地の春日井市で可能になったのか》は、将来の東海学の一つのテーマ になるのではないかとすら僕は考えている」と述べられている(『継体王朝』大巧社・2000 年)。ついでに付しておくと、この「はしがき」を書かれているさなかの8月 28 日に水野祐氏の訃報に接し、「水野先生は逝かれたけれども、その知的影響はこのシンポジウムでも、あたかも人間にとっての空気のように、当然存在するものとして役割を果たした。学恩に改めて感謝したい」と記されている(『同上書』)。西暦 2000 年はいろいろな意味で、日本の考古・歴史学界にとって忘れられない年となった。